2015年のメモ

震災直後の東京がそうだったような気がする。

大きな被害はなく、昨日と同じ今日を過ごすことができる私達なのに、むしろそのことがとても後ろめたくて申し訳なくて、みんな下を向いて歩いていたように見えた。

自分には何ができるだろう。どんな励ましの言葉も薄っぺらい。体験していない弱さ。

傷ついた人を、土地を、想像することしかできなくて下を向いた。

 

地元の同級生に責められた。なんで東京のスーパーが品薄になってるの?あんたたちに何の被害があったの?私達は食料の調達もまだできていないのに。今だ停電で不安な夜を過ごしているのに。

そうだよねそうだよね、つらい時だよね。でももしあなたが東京に住んでいたら?子供を抱えて、同じ明日が来ないかもしれない現実を感じたとしたら?そうしたら、ついいつもより多く買ってしまうかもしれない。もちろんそっちの状況がより酷いことはとてもよくわかるけど、こちらにはこちらの苦悩がある。あなたにはあなたの苦悩があるように。

 

結局その同級生とはそれ以来連絡を取らなくなった。

人は主観で生きている。相手の考えている事体験している事を完全に解ることなんてきっと永遠にできない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の人生はこれまでとても恵まれてきた。大きな病気をしたこともない。惨めな思いもしたことがない。希望の学校に通わせてもらい、好きな仕事で充実した毎日を送っている。両親ともうまくいってるし、親にとっては自慢の一人娘だと思う。

それらのことがただのラッキーだという見方もあるけれど、私は、私の小さな努力の積み重ねを褒めてあげたい。

 

だから、